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下水道の歴史 日本編(1)

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日本ではし尿を農作物の肥料として用いており、ヨーロッパのようにし尿を直接川に流したり道路に捨てるということはありませんでした。野外に穴を 掘って糞尿を貯める汲み取り式の便所の歴史は古く既に弥生期の遺構にもみられます。

下水道の確実な遺構としては難波宮(645年)の排水溝が初めで以降の都には常備されていました。人口の集中によるし尿処理設備というより中国文化 の強い影響を受けた半ば形式的なものと考えられています。

本格的な下水施設の建設は1583年大坂城築城に伴う太閤下水です。東西を「通り」と称して碁盤状に道路が整備され、その通りに面した建物の背中合 わせのところに下水溝が掘られたことから背割下水とも呼ばれます。

明治時代になると東京や大阪などの都市圏に人口が集中し、大雨による冠水や低地に溜まったままで排水しない汚水が原因で伝染病が流行するようになり ました。そこで明治17年(1884年)に日本で始めての下水道が東京に敷設されました。

本格的に下水道が整備されるようになったのは第二次世界大戦後のことです。特に産業が飛躍的に発展した昭和30年(1955年)頃からで、工場等の 排水によって河川や湖沼などの公共用水域の水質汚濁が顕著となりました。そのため、昭和45年の下水道法の改正により、下水道は町の中を清潔にするだけで なく、公共用水域の水質保全という重要な役割を担うようになりました。

ただ日本の場合は飲料水を供給する上水道が優先されたこともあり、下水道の普及率は現在でも70%程度に留まり先進国の中では最も低いものとなって います。また地理的要因も重なって地域格差が激しいのも大きな特徴となっています。

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